かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 五蘊

さてそれじゃ、次の想蘊(そううん)の解説に入るね。 想蘊の段階から自我の知的作用が始まる。 自分を取り巻くあらゆる現象を分類し、名前をつけるんだ。 これは美しい、これは醜い、良い、悪いといった判断が生まれる。 するとそこに、自分 ... 続きを読む



さてそれじゃ、次の想蘊(そううん)の解説に入るね。



想蘊の段階から自我の知的作用が始まる。


自分を取り巻くあらゆる現象を分類し、名前をつけるんだ。

これは美しい、これは醜い、良い、悪いといった判断が生まれる。




するとそこに、自分なりの秩序を持った世界が出来上がってくる。

そうなれば「他」は、よりリアルな実体として確立することになる。




色蘊、受蘊、行蘊の3つは、どちらかといえば動物的、本能的反応からできていたけど、想蘊が加わったことで、人間的な知性が生まれた。


そこに「思考」と「感情」が沸いてくる。



それこそが自我形成の最終段階で、それを識蘊(しきうん)と言うんだ。

簡単に言えば「意識」のこと。




思考はその性質からして落ち着きがなく、とりとめがない。

あるときはお金の問題、家事の問題、仕事の問題、性的妄想、そして精神世界の探求に至るまで、あっちに行ったりこっちに行ったり留まるところを知らない。


一つの思考から、また別の思考へと、絶え間なくジャンプし続けている。




そんな不規則な思考と、それに伴う感情によって「意識」ができているんだ。

これが自我の全貌だよ。



したがって、自我の構造を壊していくには、いきなり自我全体に取り組むのではなく、一番外側の「思考」に取り組むことから始めなければならない。



それが瞑想だ。


うん、かなり調子が出てきた。




でも話はこれで終わりじゃないんだ。

この先、もっとエキサイティングに展開するよ。




今は疲れたからこの辺で・・・

ブログ版「いまここ塾」はいかが?

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僕のブログに訪れる超マニアックな皆さん、おはよう。 さっそくだけど、やり始めたことだから五蘊(ごうん)の解説を片付けちゃおうね。 今日の話はうまく表現できる自信がない。 もしかしたらはずすかもしれない。 自我が生まれる前の僕らの意 ... 続きを読む



僕のブログに訪れる超マニアックな皆さん、おはよう。


さっそくだけど、やり始めたことだから五蘊(ごうん)の解説を片付けちゃおうね。



今日の話はうまく表現できる自信がない。

もしかしたらはずすかもしれない。



自我が生まれる前の僕らの意識は、自由と開放に満ちた、流れるような状態だった。


何の先入観も持たずに、あるがままをあるがままに感じ取る純真無垢な存在。



ちょうど川の水のように、瞬間瞬間、新しい感覚が流れている。



自我とはその流れを凍りつかせて、固定化してしまう自意識のことだよ。


「自分」という確固とした存在があると思ってしまった。



そして同時に固定してしまった「他」に手を伸ばして、その感触を確かめようとする。

「他」が確実に存在すれば、それを認識する「自分」も確実に存在すると思えるからね。



受蘊(じゅうん)とは、本来は存在していない「自分」の存在を確認するための、トリックのことだ。




そうやって作り出した「他」に対して、僕らはいくつかの態度で接するんだ


その状況に魅力を感じれば自分に引き寄せ、脅威を感じれば向こうに押しやり、どちらでもなければ無関心になるというようにね。



自分が映し出した世界に対して、自分が反応するこの段階を行蘊(ぎょううん)というんだよ。

そうやってますます「自分」という存在が確かなものとなっていく。




ねえ、もしかしたら僕が何を言っているかチンプンカンプン?



これらは、僕らがあまりにもあたりまえのようにやっていることなので、あえてそのことに対する自覚が持てないんだ。



ここまでが、色蘊、受蘊、行蘊、の3段階。





残りは想蘊(そううん)と識蘊(しきうん)。



この5つが五蘊(ごうん)と呼ばれるものだよ。




残りの解説はまた後ほど・・・


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naoyukiさんから、今朝書いた色蘊(しきうん)についてメールで質問をもらった。 「広大な宇宙空間を認識するためには、そこで飛び跳ねて動き回ればその存在を確認できるだろう...」との事ですが、具体的にはどのようにすればよろしいのでしょうか。 本来は ... 続きを読む
naoyukiさんから、今朝書いた色蘊(しきうん)についてメールで質問をもらった。


「広大な宇宙空間を認識するためには、そこで飛び跳ねて動き回ればその存在を確認できるだろう...」との事ですが、具体的にはどのようにすればよろしいのでしょうか。





本来は、確認する必要はない。

だって宇宙は宇宙として完璧に存在しているわけだから。



ただそのスペースがあまりに広いので、宇宙である自分はそこを動き回って、自分の全体像を知りたいと思った。


でも動き回る事は、宇宙を認識することにはならない。



むしろその動きが混乱の元になるんだ。



浅瀬で手足をバタバタさせると、海水が濁って十分に先まで見通せなくなるよね。

見えるのはわずかの部分だけになってしまう。



本当に全体を認識したければ、何もせずにじっとしていることだ。



そうすれば、次第に本来の状態に落ち着いてくる。


それが瞑想だよ。



したがって本来の自分(宇宙的自己)を認識するためには、静かに瞑想することだ。


・・・・・・・・・・


このシリーズはとてもデリケートな内容なので、僕の文章能力ではたくさんの誤解を与えるかもしれません。



皆さんに少しでも正確に理解してもらうためには、Q&Aコーナーがあるといいかもね。



ここへのカキコでもメールでもいいので、気軽に質問してください。
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超マニアックなみなさんおはよう! 今朝はのっけからぶっとんだ話だ。 この話は感覚的に理解すべき内容だから、斜め読みしないで、一言、一言、かみしめながら読んでね。 一人になれる時間を作って、深呼吸してゆったりとした気持ちで・・・ ... 続きを読む



超マニアックなみなさんおはよう!


今朝はのっけからぶっとんだ話だ。





この話は感覚的に理解すべき内容だから、斜め読みしないで、一言、一言、かみしめながら読んでね。

一人になれる時間を作って、深呼吸してゆったりとした気持ちで・・・




今朝は五蘊(ごうん)の一番目、色蘊(しきうん)について説明してみる。






僕達は、本来は宇宙そのものなんだ。


宇宙とは無限の空間。

あまりにも広くて、つかみ所もより所もない開かれたスペース。


でも、そんな広大な空間を認識するためにはどうしたらいいんだろう。

そこで飛び跳ねて、動き回れば、存在を確認できるかもしれない。

そう思って動き始めた。



その動きが激しくなってくると、あろうことか、「自分」がその空間を動き回っているという自覚が生まれるんだ。

本来は空間と自分はひとつのものだったのに、自分と空間が別々のものになっちゃった。



それが色蘊と呼ばれる状態。



「自分」が「他」から切り離されて、単独に存在しているという感覚のことだ。

そうやって作った「他」のことを、「色(しき)」と呼ぶんだよ。



なんとなくわかった?




これが僕らの自我の一番根底にある錯覚だ。

自分が他から分離していると思っちゃったんだ。



本当は「自分」もなければ「他(色)」も存在していない。

すべてはひとつなんだから。




難しいのは、このような説明を「自分」が読んで解釈しようとすること。

「自分」が存在していないことを「自分」が見抜けるわけがない。



唯一できることは、「自分」がいなくなった状態、すなわち「無我」を体験すること。

そうすれば、感覚的に理解できる。



感覚でしか理解できないことを、知的に理解しようとするから、般若心経は難解なお経になってしまうんだ。



なんとなくわかってくれたら、次の受蘊(じゅうん)の話も面白いよ。


わかった人はわかったなりに、ピンとこなかった人はこなかったなりに、次回をお楽しみにニコニコ




超マニアックなみなさん向けの、般若心経講座その1でした。



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今朝書いた「突然の気づき」の中で、何もない大草原に家を建てたって話をしたけど、それは僕達が何もないところから自我(自分が存在するという感覚)を作り出したっていうことだよ。 自我というやつは、本当は存在していないのに、さもそれが実体であるかのごと ... 続きを読む



今朝書いた「突然の気づき」の中で、何もない大草原に家を建てたって話をしたけど、それは僕達が何もないところから自我(自分が存在するという感覚)を作り出したっていうことだよ。


自我というやつは、本当は存在していないのに、さもそれが実体であるかのごとく我々を惑わしているマジシャンなんだ。


そして僕らのすべての苦しみは自我から生まれている。




その自我は5つの構造でできていて、それを五蘊(ごうん)というんだ。




般若心経の中にはこのように出てくる


照見五蘊皆空(しょうけん ごうん かいくう)

そしてこう続く

度一切苦厄(ど いっさい く やく)


なにかといえば、自我を構成している5つの段階を全部幻想だったって見抜いたら、苦しみがなくなっちゃったっていう意味だよ。




それじゃこの5つってなんじゃらほいって話をしてみようか。



それが理解できたら苦しみが飛んじゃうんだから、学ぶ価値がありそうだね。




世に中には多くの般若心経の解説本がでているけど、この五蘊という言葉をきちんと説明している本はほとんどない。


かなりの難題だけど、そこにあえて取り組んでみよう。


きゃーカッコいい!!


さすがシッタカブッダ様。



それじゃ次回から、延命十句観音経の時のように、ひとつひとつトライしてみるね。

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