かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 延命十句観音経

死ぬ間際まで唱えたからって、経文が「死」に関係しているわけじゃない。 紫山老師はその時だけでなく、いつもいつも唱えていて、それが最後の瞬間まで続いたというだけの話だ。 常にその境地から心が離れないよう、常に観音の御名を呼んでいた。 念念不 ... 続きを読む



死ぬ間際まで唱えたからって、経文が「死」に関係しているわけじゃない。

紫山老師はその時だけでなく、いつもいつも唱えていて、それが最後の瞬間まで続いたというだけの話だ。


常にその境地から心が離れないよう、常に観音の御名を呼んでいた。


念念不離心(ねんねんふーりーしん)




そのように心が定まれば、もはや心は不動のものとなる。


出来事や外側の情報によって右往左往しなくなる。


たとえ自らの死がせまっていても同じこと。



念念不離心



それは実践でしかない。

とにかく繰り返し経文を唱え続けること。



「延命十句観音経」を毎日一千回唱えると御利益があるというが、それは何か神の力が自分に及ぶというのではなく、自分自身の心が定まり、安楽の境地に近づくということだろう。



したがって

念念不離心




これが「延命十句観音経」の最後の一句だよ。



ずいぶん時間がかかっちゃったけど、このシリーズはこれにて終了。

PCで見てくれている人は、右のカテゴリーの「延命十句観音経」をクリックして最初から読み直してみてね。




この経文をただ呪文のように唱えるのでなく、意味を理解して唱えた時、その響きが魂にまで届くのだと思う。



この経文の根底に流れるのは利他心。

そこに人生の極意が隠されているのではないだろうか。



いつもそんな自分で生きたいと、今日も心の底で念じています。





延命十句観音経


観世音   南無仏

与仏有因  与仏有縁

仏法僧縁  常楽我浄

朝念観世音 暮念観世音

念念従心起 念念不離心





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昔、方広寺に足利紫山という名物管長がいた。 安政の生まれで、昭和34年に亡くなったのは満100歳の時。 この方は臨済宗全体の管長まで務めた人で、多くの伝説が残っている。 晩年、毎日新聞の記者が老子に長生きの秘訣を尋ねたとき、 「心をダ ... 続きを読む



昔、方広寺に足利紫山という名物管長がいた。

安政の生まれで、昭和34年に亡くなったのは満100歳の時。


この方は臨済宗全体の管長まで務めた人で、多くの伝説が残っている。



晩年、毎日新聞の記者が老子に長生きの秘訣を尋ねたとき、

「心をダラーリ、あれダラーリ」

と答えたと言う。

「あれダラーリ」とは、男のあれのことで、さすがに新聞には載せられなかったそうだ。




その老子が天寿を全うして、まさに息を引き取る最後の瞬間まで唱えていた経文があったそうだ。


それが「延命十句観音経」



最後の最後まで

「か・ん・ぜ・お・ん・・・」

と言って亡くなったという。







続きはまた後でね。






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僕たちは朝から晩まで、とりとめのない思考にどっぷりと浸かっている。 たえまない考えが次々に頭の中を通り過ぎ、それはいつも堂々巡りだ。 心の中の無駄話はどこまでも続いていく。 終わってしまったことをあれこれ考え、先の事をあれこれ考え、夢想空想 ... 続きを読む


僕たちは朝から晩まで、とりとめのない思考にどっぷりと浸かっている。

たえまない考えが次々に頭の中を通り過ぎ、それはいつも堂々巡りだ。



心の中の無駄話はどこまでも続いていく。

終わってしまったことをあれこれ考え、先の事をあれこれ考え、夢想空想の中をさまよい、またしばらくしたら同じ事を考えている。




もし自分が考えた事をすぐさまノートに書き写して、それを1時間書き続けて、そのノートを読み返したとしたら・・・

それは支離滅裂、あっちに飛んだりこっちに飛んだり・・・



落ち着きなく、一貫性もなく、しかもその多くは足りないものへの不満や不安といった否定的なものだったりする。





この散漫な思考こそが、僕らに目隠しをし、真理から遠ざけている正体だ。




その思考の無制限の動きを制限する努力をしよう。

そして常に自分の心の中を聖なるもので満たしておこう。




念とは「今」の「心」のこと。


まさに今、そんな聖なるものを思い起こす。

そのことだけで心を満たし、散漫な思考を統制するんだ。



念念従心起(ねんねんじゅうしんき)





今日一日、思い出すたびに実践してみよう。


でもきっとすぐに忘れて、またとりとめのない思考の海に浸かって生きていることだろう。


だからこそ、何度でも思い出すんだ。



念念従心起





何度でも、何度でも



念念従心起





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今日も一日ありがとう。 たくさんの出会いをありがとう。 僕の話を聞いてくれてありがとう。 笑顔をありがとう。 ありがたいな。 こうして生かされていること。 こうして夢を持たせてもらっていること。 愛されていること。 応 ... 続きを読む



今日も一日ありがとう。


たくさんの出会いをありがとう。

僕の話を聞いてくれてありがとう。

笑顔をありがとう。






ありがたいな。


こうして生かされていること。

こうして夢を持たせてもらっていること。

愛されていること。

応援されていること。







ありがたいな。


ありがたいな。




だから、一日中念じずにはいられない。



愛の化身である「観世音」の名前を。




朝から晩まであなたを思い出し、あなたの心と合体します。


暮念観世音





地上が愛で満たされますように

地上の苦しみが終焉しますように

世界の街角に、子供たちの笑い声が響きますように



暮念観世音





明日も一日中


朝念観世音

暮念観世音





おやすみなさいニコニコ





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延命十句観音経も終盤に入ってきたね。 最後の部分は読んで字の如し、そのままの意味だよ。 昨日久しぶりに中城村で住んでいた家を見てきた。 もう一ヶ月経ったのかという思いと、すでにそこには我々家族の生活の気配が何もないことへの寂しさを同時 ... 続きを読む



延命十句観音経も終盤に入ってきたね。

最後の部分は読んで字の如し、そのままの意味だよ。




昨日久しぶりに中城村で住んでいた家を見てきた。


もう一ヶ月経ったのかという思いと、すでにそこには我々家族の生活の気配が何もないことへの寂しさを同時に感じた。



目の前に広がる中城湾。

なにひとつ視界をさえぎるものがない遥かなる海の彼方から昇る朝日。


無尽蔵のエネルギーによって生かされていることの不思議。


空気、水、食べもの、そして多くの人々・・・生きるために必要なすべてを与えてもらっていることへの感謝。


目の前の小さな問題や、心をめぐるあれこれの想いによってつい忘れてしまうが、我々はとてつもない奇跡の中で生かされている。



そんなことを思い出させてくれたのが、中城の朝だった。




昇る朝日の圧倒的な存在感を前にすれば、誰もが手を合わさずにいられない。


朝からその感謝を念じずにはいられない。



朝念観世音





今日も生かしてくれてありがとうございます。


それなのに、すぐにそのありがたさを忘れてしまって、足りないと感じるものに心を奪われ、不平不満の世界を自分に作り出してしまう。


だから何度でもそれを思い出す習慣を作るんだ。



朝念観世音





今日も一日いい日でありますように。

あなたが健康で幸せでありますように。




朝念観世音





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おはよう。 9時間も爆睡してしまったけど、気分は爽快! さて今日は「常楽我浄」の最後の一文字、「浄」を見ていこう。 地上の目線から見た時の「常楽我浄」と、宇宙の目線で見たときの「常楽我浄」 これを学ぶのは、自分の普段の人生と、彼方な ... 続きを読む


おはよう。

9時間も爆睡してしまったけど、気分は爽快!



さて今日は「常楽我浄」の最後の一文字、「浄」を見ていこう。


地上の目線から見た時の「常楽我浄」と、宇宙の目線で見たときの「常楽我浄」



これを学ぶのは、自分の普段の人生と、彼方なる自分を理解するのに役立つよ。




約15年間にわたり、多くの人たちの悩みや苦しみと出会い、その苦しみが少しでもなくなるようにと様々な話やレッスンを提供してきた。



ちょっと話がハードになるけれど、その中に、幼少の頃、心無い周囲の大人によって性的いたずらをされた女性たちが少なからずいた。

その経験がその人自身やその人の人生に与えた影響は想像以上に大きい。


しかもそのような出来事を親にも誰にも言えず、ずっと一人で苦しんできた人たちも多く、そのような事件は表面化するのは一部で、僕の経験から言うと実際にはかなりの数にのぼるのではと思う。


そんな人たちに必ず伝えてきたのは

「あなたのせいじゃないし、あなたは少しも穢れていない」


そしてその言葉は気休めじゃなく、事実だ。

もちろんそう言われてもすぐに傷が癒えるわけじゃない。
でも何度でも繰り返し伝えよう。

「あなたのせいじゃないし、あなたは少しも穢れていない」



僕たちの本質は現象界とは違う次元に存在し、それは起きた出来事に影響されることは無いんだ。


それを理解するのにも大空の話は役に立つ。



僕らの人生には雷のように心を引き裂く出来事や、嵐や、雨や、様々な受け容れがたい出来事が起きていく。

そのたびに僕らは傷つき悩み、恨みや怒りや嫉妬のような感情を溜め込んでいく。

その感情が内側に向かえば、罪悪感や自己嫌悪となる。


いつしか素直な気持ちは失われ、自分が自分ではなくなり、さらにはそんな自分を責めたり罰したりするので悪循環に陥ってしまう。



しかし何十年間も否定的などす黒い雲に覆われていようと、空を引き裂くような稲妻が何度訪れようと、その背後に存在する「大空」は決して影響される事はない。

雲や雷が大空に影響を与える事はできないんだ。


大空はどこまでも純粋無垢に、その姿を変えることなく存在し続けている。


それが僕らの本質だよ。



自分がどんなに不純で汚れてしまったと思っても、それは表面的な感覚に過ぎなくて、本当の僕たちはいっさい穢れを知らない清らかな存在だ。


それが「浄」の意味するところ。

それは垢にまぎれたこともなく、したがって浄化の必要もない。

それを般若心経では不垢不浄(ふーくーふーじょう)と表している。



だから何度でも自分自身に言ってあげよう。

「本当の自分はいつもいまここで光り輝いている」って。

雲がそれを見えなくしているだけで、見えなくたって大空が消えたわけじゃないから。


だから「大丈夫」なんだよ。



宇宙の目線から見た「常楽我浄」

うまく伝わったかな。


ちなみに地上目線の「常楽我浄」を四顛倒(してんどう)と呼んだのに対して、宇宙の目線のそれを四徳(しとく)と呼ぶんだ。


同じ言葉が「過ち」にもなれば「徳」にもなる。



延命十句観音経の中に出てくる「常楽我浄」は四徳のそれだよ。



さてこの経文の説明も佳境に入ってきたね。


この後はそれほど難しくないから、すでに多くを理解したことになるよ。



最後まで読んでくれてありがとう。






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今朝は宇宙の目線から見た「楽」について話をしたら、こんなことを書いてくれた人がいた。 >身も心も生まれては消えていく単なる現象 まさにそのとおりって思う! この言葉を拝借して、次の一字「我」の説明に入っていこう。 >身も心も生まれては ... 続きを読む


今朝は宇宙の目線から見た「楽」について話をしたら、こんなことを書いてくれた人がいた。


>身も心も生まれては消えていく単なる現象


まさにそのとおりって思う!

この言葉を拝借して、次の一字「我」の説明に入っていこう。




>身も心も生まれては消えていく単なる現象



それは海に生じる波のようなもの。


波は海面に無数に生じるが、二つとして同じ波はなく、すべて形も大きさも微妙に違っている。


その波同士が、隣の波と比べあい、競い合い、よりよい波になるために、生きている間、絶え間ない葛藤をしているのが、人の人生。


生じた波はいつか必ず消滅するときが来る。

それを知っている波は、なんとか自分の寿命を延ばそうと、その形にしがみつく。

そして日々消滅を恐れている。



どんな努力も自然の摂理には勝てず、遅かれ早かれその波は消滅する運命にある。



ところが消滅した波は、初めて大きな気づきを得るんだ。


「なーんだ、自分は波としての自分にしがみついていたけれど、本当は海そのものだったんだ。

波(自分)はたんに海(全体)の運動現象にすぎず、それは実体じゃなかった


本当の自分は海そのものだったんだ。

自分は全体・神・宇宙そのものだったんだ」



ブッダからの目線では、その海である自分を「我」と呼ぶ。




「常楽我浄」





さ、あとは「浄」の一文字だね。






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