かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 放浪記

お金がない、 仕事がない、 何の策もない それなのに、ほとんど不安や心配がありません。 どうやらこの数か月間で、神(?)を信頼すること、人生の流れを信頼することが身に付き始めたようでした。 すでに預けた命です。 投げやりではないのですが、ど ... 続きを読む
お金がない、

仕事がない、

何の策もない


それなのに、ほとんど不安や心配がありません。

どうやらこの数か月間で、神(?)を信頼すること、人生の流れを信頼することが身に付き始めたようでした。

すでに預けた命です。

投げやりではないのですが、どうにでもなれという気持ちでした。


その一方で、都合のいい願望もありました。

相手が神ならば、神業(かみわざ)で奇跡を起こして、僕が生活に困らない状態を作ってくれたらいいな・・・突然スポンサーが現れるとか・・・大金が転がり込むとか・・・







平成元年7月の末、東京に帰りました。


家に着いて早々、留守中に届いた手紙を整理していると、一通の支払調書を見つけました。

なんと当時のアイドルが、僕が10年以上前に作った歌をリバイバルしていて、その初回印税が振り込まれていたのです。

しかもウン百万円です。

まさしく、大金が転がり込んでいました。

僕が天河に行った3月に決定され、レコーディングもされ、6月末に発売になったと後で聞きました。

使用権は音楽出版社に委託しているので、僕の許可は要りません。

5小節目を間違えて3度高く歌っていますが、そんなことはどうでもいい。

買わなかった宝くじが当たったような気分でした。



おお、神よ、好き好き、大好き!!

神っていい奴じゃん。

そっちがその気なら、こっちだってあんたを信じて身を預けようじゃないの。

ま、仲よくやろうぜ。


不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、これは長年にわたって持ってきた、神への偽らざる気持ちです。


神も偉大ですが、僕もあなたも偉大です。

僕たちは神がいなければ存在できませんが、神も僕たちがいなければ自分を表現できないのです。

神という存在に謙虚になって、完全に自分を捨て切り、五体投地のような心境も目覚めに有効ですが、同時に自分という存在が神と対等で偉大なものであることも忘れてはいけません。

究極的には神も自分もひとつのものであり、この事実は神のほうがよく知っています。



「神との対話」という本がありますが、あの中で特筆すべきことは、作者と神が友情関係、すなわち対等な立場で関わっていることです。

神との友情・・・素晴らしい表現だと思います。



なにはともあれ、彼が僕を養ってくれていることがはっきりしました。

ますます神への信頼と、人生の流れへの信頼が高まっていきました。

これはただの偶然で、勝手な思い込みの可能性もあります。

でもその思い込みが、僕の人生を引き上げてくれたことだけは事実です。



自分にはいいことが起きていないという人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。

いま必要なことが起きているのです。

それを信頼したとき、ひとつの学びが終わり、次のステップでの展開が始まります。


信頼すればするほど、事はスムーズに流れだし、生きることが楽になっていきます。


このことを僕と黒斎くんは、「降参のススメ」と呼んでいます。


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プツン 僕の中で何かが切れた。 それと同時に、またあの声だ。 「もういいよ」 なんという解放感。 ただただ、この感覚を味わいたいがために頑張ってきたような気さえした。 その時、僕は遷宮祭イベントの舞台の上で、神主装束のまま踊っていま ... 続きを読む
プツン


僕の中で何かが切れた。

それと同時に、またあの声だ。


「もういいよ」


なんという解放感。

ただただ、この感覚を味わいたいがために頑張ってきたような気さえした。



その時、僕は遷宮祭イベントの舞台の上で、神主装束のまま踊っていました。

喜名昌吉さんのバンドが、ライトに照らされでキラキラ輝いていました。

本来なら神官として、舞台の下に鎮座して見守っている立場だったのですが、久しぶりに聞くロックの生演奏に、いてもたってもいられなくなって、そのままの格好で舞台に駆け上ったのです。


杉木立に囲まれた、ほんの小さな田舎の神社。

なぜ僕はここにいるのだろうと、踊りながら思いました。


それまでの記憶が消えて、急にここに出現したような感覚でした。


「もういいよ」


そっか、もういいんだ。


思えば無給でよく働いたものです。

35歳の働き盛りの男が、4か月もの間、自分を一番下に置いて、ただ、「はい」「わかりました」と言い続けました。

神社に上がる石段を、ぞうきん掛けしたこともありました。

参詣客が通るたびに、汚れた靴跡を一段ずつ拭きつづけました。

そんなことをしても、ほとんど意味は無かったのですが、その日は小さなお祭りで、みんなに気持ちよくお参りしてもらいたかったんだと思います


大祭はまだ5日間残っていたけれど、メインの遷宮式も終わり、これからは各分野の奉納が残るのみ。

それに、大祭のために、大勢のスタッフが応援に駆け付けてくれています。

僕のここでの役目は終わったと、心から思いました。

白装束は汗でビショビショになっていて、夜風がひんやりと肌を刺しましたが、この時の解放感は、筆舌に尽くしがたいものでした。





翌朝、まだ人のいない社殿の前で手を合わせました。

夏の日の夜明けの静けさが、真新しい吉野ヒノキの香りと共に、僕を包んでくれました。


御扉は、いつものように何事もなく佇んでいます。


「ありがとうございました。

とても素晴らしい日々でした。

今日でこの地を去ります。


僕にはもう、仕事もないし、お金もありません。

でも、何がどうなっても、天の御心を受け入れることができそうです。


世界が平和でありますように

地上に目覚めの連鎖が始まりますように


この命を自由にお使いください。

あなたの御心のままに流れていきます」



この最後の祈りが、次の人生の始まりとなりました。


ここから、まったく違う生き方の人生が始まっていくことになります。




か・ん・な・が・ら



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天河では、神前の音以外にも、不思議なことがたくさんありました。 それが何だったのかは、わかりません。 人間はなんでも解明しようとするし、適当な答えを見つけて納得しようとするけれど、わからないことは、わからないままでいいと思います。 実際の話、人間は ... 続きを読む
天河では、神前の音以外にも、不思議なことがたくさんありました。

それが何だったのかは、わかりません。

人間はなんでも解明しようとするし、適当な答えを見つけて納得しようとするけれど、わからないことは、わからないままでいいと思います。

実際の話、人間は何もわかっていないのですから。


ある日の夕方、大阪在住の女性医師が、来迎院の住職から僕を紹介されたと言って訪ねてきました。

50歳くらいの方でしたが、当時の僕からは母親くらいに見えました。


仕事の悩みを抱えていらしたので、僕なりのアドバイスをさせてもらいましたが、気分転換に少し離れた場所にある禊殿(みそぎでん)を案内することにしました。

禊殿は、古くなった元の本殿を解体して移した建物で、とても魅かれるものがあり、大好きな場所でした。


日も暮れて、あたりは真っ暗です。

禊殿の裏を流れる天川のほとりで、2人で石に腰かけて、川のせせらぎを聞いていました。


すると対岸の山道を、自転車のライトが降りてきました。

橋を渡ってくるかと思ったら、橋のたもとに止まったまま、こちらをじっと眺めている様子でした。


「アレ?自転車のライトだったら、止まれば消えるんじゃなかろうか」


もしかしたら、隣にいるご婦人と僕が、遠目にカップルに見えて、懐中電灯で冷かしているのかと思いました。


するとその光は、橋ではない場所を渡ってきます。


ゾっとしましたが、すぐに答えを探しました。


そうか、季節外れの蛍だ。

そうだ、そうに違いない。


光は一瞬消えたかと思うと、次の瞬間にはこちら岸に移動してきていました。

瞬間移動というものを初めて見ました。



明らかな意思を持って、こちらを見ているのがわかります。

そのうち、光が大きくなっていきました。






漆黒の闇が、光の周囲だけ照らされていきますが、光の元はあまりにも眩しすぎて確認できません。


隣のご婦人も凍りついたように固まっています。


何か、見てはいけないものを見てしまった、出会ってはいけないものと出会ってしまったと感じました。


未確認飛行物体という名称がありますが、まさしく未確認の飛行物体であり、光です。


何かを知らせようとしていたのかもしれません。

もしかしたら、コンタクトしようとしていたのかもしれません。

それは今になって思うことで、その時は余裕がありませんでした。

きっと僕にはまだ準備ができていなかったのでしょう。


徐々に大きくなる光を前にして、とっさにその場を離れようと思いました。



「帰りましょう」


「はい」


僕たちは駆け足でその場を逃げ去りました。



あの光が何だったのかはわかりません。

きっと唯物科学では、それなりの答えを与えてくれることでしょう。

あるいはサイキックな人が、別の答えをくれるのかもしれません。


でも僕は、わからないままでいいと思っています。

一つだけ言えるのは、経験者として、あれはこの世のものではないということです。



このエピソードは、「かんながら」の中で、少し形を変えて書き表しました。



4か月間の滞在中に起きた一コマです。



追記

いま目の前に広がる海を見ていました。

頭の上には、無限のかなたに続く空が広がっています。

宇宙空間に地球が浮かび、地上ではこうして水と空気で生かされている。


こうして生かされている不思議から見れば、どんなに不思議な現象も、取るに足らないお遊びごとですね。

この不思議さを「感謝」と呼ぶことにします。


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よく深夜に一人で神前に座って、じっと御扉を見つめていました。 あたりはいつも、優しい波動に包まれています。 神という存在が、人間の行為を裁くのではなく、過ちも含めて、すべてを受け入れ許してくれているということを感じさせてくれます。 神前では、毎回 ... 続きを読む
よく深夜に一人で神前に座って、じっと御扉を見つめていました。

あたりはいつも、優しい波動に包まれています。

神という存在が、人間の行為を裁くのではなく、過ちも含めて、すべてを受け入れ許してくれているということを感じさせてくれます。


神前では、毎回のように不思議な現象が起こりました。

本殿の中から、ガタンという大きな音がするのです。

それも周囲に響き渡るくらい大きな音です。

もちろん誰もいるはずがありません。

最初は、立てかけてあった木箱か何かが外れたのかと思ったのですが、毎回続くので、これはひょっとすると、ある種の合図かもしれないと思うようになりました。

毎回、必ずといっていいくらい音がするのですから、不思議さを通り越して、当り前の現象になっていきました。

しかも少しも怖さがなく、大きなものに包まれている安心感があるのです。


そのうち、「小僧習わぬ経を読む」ではないですが、習わぬ祝詞を覚え、いつの間にか唱えるようになっていました。

言霊というものは確かに存在すると感じました。

いまはサンスクリット語も、言霊の言語だと思っています。

言語には、意味を伝えることを目的にしたものと、波動によって意識を彼方に導くものとがあるのです。

したがって言霊言語は、意味を解析する必要はなく、ただその波動に浸ることで心身に影響を与えることができます。

経文や祝詞には、そのような力があると思います。






天河での日々は瞬く間に過ぎていきました。

その期間は、ただひたむきに奉公したように思います。


娑婆の世界にやや疲れていた心も、すっかり回復しました。

でもお祭りが近づくと、ある不安が心をよぎるようになりました。


もう、持ち金が底をついていたのです。

なんとか東京まで帰る費用は残っていますが、帰った後は一文無しです。


何とかなるとは思いつつも、正直不安な気持ちでした。


神様がなんとかしてくれるだろう、なんともならなければそれも神の意思か。


でもなんとかしてもらいたいよな、毎朝毎晩、床や柱を磨いてきたんだから。


おい、こら、なんとかしろ!

聞こえてんのか、神!



いつものように深夜、神前に佇んで、お金を与えてくれるように頼みました。


返ってきたのは、いつもと同じ、




「ガタン!」


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生まれて初めてのご奉公なので、何か自分でルールを決めようと思いました。 それまでの自分では決してありえない何か。 人をコントロールしたり、コントロールされたりすることが嫌いで、わが道を行くと言えば聞こえはいいのですが、精神的には孤高の人でした。 ... 続きを読む
生まれて初めてのご奉公なので、何か自分でルールを決めようと思いました。

それまでの自分では決してありえない何か。


人をコントロールしたり、コントロールされたりすることが嫌いで、わが道を行くと言えば聞こえはいいのですが、精神的には孤高の人でした。

嫌なものは嫌だというのが、いつも心の根底にあったので、かなり独善的な態度で生きていたように思います。


そこで奉公の期間は、たとえ相手がだれであれ、何かを指示されたり頼まれたりしたときは、一切の判断を捨て


「はい」


「わかりました」


と、これだけを言うことに決めました。



さらには、まったく違う意見をぶつけられても、


「なるほど、そうですね」


と答えることにしました。



それは表面的な態度だけではなく、心の中においても同様で、「welcome」、「yes」だけを想起します。


このような態度は、自分を持たないという意味で否定的に捉えられますが、自分を持たないというのは、ある段階において強烈な修行になり得ます。


外側で従順な振りをすることは容易いのですが、内側ではすぐに反発や判断が生じてきます。

いかに人間というものが、四六時中、頭の中で自分や他者を批判しているのかがよくわかります。

「No」とは自我の食べ物で、「No」によって自我が維持されているんです。







そんなふうにして始まった天河生活でしたが、「yes」をいうたびに自我が薄れていくのがわかりました。


でも何も無くしていません。

自分という存在は、何一つ損なわれることなく、むしろイキイキと輝いています。


意見の相違など、宇宙的目線から見れば誤差にもならず、どんなことも相手に合わせてあげることでスムーズに展開していきました。

この期間の生活は、その後の僕の人生に大きな影響を与えてくれたと思います。



奉公を始めて一月半くらいが過ぎたころでしょうか、宮司が僕に言いました。


「悪いけどにゃ、小野田君(最初に会った神主)と一緒に、弥山に登ってくれんかにゃ」



弥山頂上は天河神社の奥宮がある場所で、弥山の山開きの儀式を手伝ってくれという依頼でした。


山登りは苦手な僕でしたが、間髪入れずに答えました。



「はい、わかりました」




・・・・・・・・・


さて、話は変わりますが、昨日みなさんに問いかけた、「日本の至高の宝」について、

たくさんの答えをありがとうございました。


このような問いかけは、決められた正解があるのではなく、各自それぞれが感じるものだと思います。


昨日のみなさんのコメントの中に、僕と同じ答えが複数ありました。

他の人たちからも、多くの宝を教えてもらえました。

僕の答えは、またいつの日にか書かせてもらいます。



宝さがしは楽しいですね。


いずれにせよ、日本は素晴らしい国だと思います。



ここプーケットも、休暇で訪れるにはパラダイスです(^o^)


タイでの写真は、facebookに随時アップしています。

コチラから

facebookは、みんなの息吹を感じれて楽しいです。


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僕は迷うことなく快諾しました。 というより、そうなることを望んでいた・・・そうなることを知っていたのです。 物語「かんながら」の中では、突然の申し出に仰天し、しばし考え込むシーンが出てきますが、あれはストーリーに信憑性を持たせるために書いたも ... 続きを読む
僕は迷うことなく快諾しました。

というより、そうなることを望んでいた・・・そうなることを知っていたのです。





物語「かんながら」の中では、突然の申し出に仰天し、しばし考え込むシーンが出てきますが、あれはストーリーに信憑性を持たせるために書いたものです。

事実は小説より奇なりと言いますが、実際には宮司と会った瞬間から、天河神社と深くかかわることになるという直感がありました。

だから温泉に彼が現れたとき、彼が僕に何を話しに来たかも分かったのです。


何故そう思ったのかはわかりません。

僕には強い霊感もありませんし、こんな話をしていますが極めて普通の男です。

でも時々、先が見えたり、人の心が読めたり、導きの声が聞こえたりします。

あれ?これって霊感?



最初に小さな気づきがあり、すぐさま現役活動を引退して悟りを追い求めたときから、何者かになりたいとか、成功を手にしたいとか、現世的な欲求は消えていました。

見性体験が起きた後は、残された母のために経済活動をすることが必要だったのでレコード制作に携わりましたが、そのときも心動かされるようなことは一つもなく、自分の内側で逆転してしまった価値観を抱えながら、周囲の人たちに合わせていただけでした。

そのあとに始めた七福神プロジェクトは、宇宙の真実を伝えたいという思いだけは満足できましたが、結局は内なる真理を密かに抱えながら仕事をするという意味では、それまでの仕事となんら変わりがありませんでした。


七福神プロジェクトは、最初にメインボーカルが抜けたときに止めるべきものを、その時のノリと勢いで進めてしまったことが最後まで影響しました。

商業的には失敗でしたが、レコード会社への一応の責任は果たしていたので、もういいだろうという思いがありました。

メンバー達も、良質のアルバムが残せたことを喜んでくれていたので、そろそろ潮時を感じていました。

いくつか依頼されていたCM音楽の仕事は残っていましたが、僕が辞めても、やりたい人はいくらでもいます。


富士山に暮らしたいという最初の思いに帰って、天河に暮らすのもまんざら捨てたもんじゃないと思いました。


神社への奉公は無報酬ですが、宿と食事は提供してくれます。

母への毎月の援助も、4か月間だったら手持ちのお金で何とかなります。


その後のことは、なんとかなればなるだろうし、ならなければならないなりに何とかしていけばいいと思いました。

そんなことより、娑婆(シャバ)から解放されて、当分の間、山あいの神聖な地で暮らせることに、心底ウキウキした気持ちでした。


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二泊三日間の滞在中、ほとんど寝て過ごしました。 これがまた、よく眠れるのです。 天川村は標高600mにあるのですが、ちょうどその気圧は母親の胎内と同じなんだと、誰かが言っていたように記憶しています。 その数年前に僕に訪れた気づきの体験は、宇宙には ... 続きを読む
二泊三日間の滞在中、ほとんど寝て過ごしました。

これがまた、よく眠れるのです。

天川村は標高600mにあるのですが、ちょうどその気圧は母親の胎内と同じなんだと、誰かが言っていたように記憶しています。


その数年前に僕に訪れた気づきの体験は、宇宙には自分の意識しか存在せず、あらゆるものはその意識によって生み出されているというもので、いまさら外側に神とか仏とか言われても、どこか子供じみて感じていました。

ですから神社そのものには、ことさら興味を持っていたわけではありません。

ただ、気持ちのいいところだなというのが、初めて訪れたときの感想でした。





帰る日の朝、一度くらいきちんとお参りしようと思い立ち、神社に向いました。

たかだか民宿から徒歩で一分くらいのところでしたが、ちゃんとお参りもしていなかったのです。


社務所のあたりで、先日会った神主が作業着で忙しそうに動き回っていました。

その彼に指示を出している太った神主、はは~ん、あれが噂の宮司だなとすぐに分かりました。

体格も顔つきも、なによりその全身から出ている雰囲気に凄味があります。


二人とも険しい顔つきで忙しそうだったので、そのまま立ち去ろうとしましたが、神主が僕に気づき、宮司に伝えました。

「あそこにいるのが、七福神のプロデューサーの阿部さんです」


すると宮司はピタリと立ち止まって、こちらを振り向くと、一瞬間をおいて急に明るい顔になり、

「そうですか、そうですか、七福神の・・・、そうですか、そうですか」

と言って握手を求めてきました。


そのとき直感したのは、七福神というのがまさかバンド名だとは思わず、自分が初めて七福神の祈祷をした直後に、「七福神のプロデューサー」(なんのこっちゃ)が現れたので、何かの巡り合わせを感じたのではなかろうかということです。


「よう来てくれなさった」


満面の笑顔で握手を求められたので、僕もいちいち説明する気になれずに

「はい、よろしくお願いします」

と言って手を差し出しました。


その日の午後、さていよいよ下山しようと、最後に村の温泉施設に行ったのですが、その湯船に浸かっていたら、いきなりあの宮司が現れたのです。


このあたりのことは「かんながら」に書きましたが、温泉の部分は事実そのままです。


4か月後に大きなお祭りがあって、その準備でとにかく忙しいので、このまま神社を手伝ってくれないかという申し出でした。


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